細菌戦の系譜!!
パネル展から
反核・反原発(原発0に)
県民投票行われず 川内原発の県民投票条例制定案は県議会で否決
福島第一原発で作業員5人に放射性物質を含む汚染水かかる
#私たちはALPS処理水の海洋放出に反対します-2023-
#1 汚染水って何?何が含まれているの?
処理水の海洋放出差し止めを 福島の住民ら151人、全国初の提訴 福島地裁
日本軍細菌戦部隊731はどんな部隊であったか
帝銀事件と731部隊
●三多摩平和交流会の感想
17、千葉君を救うために高校生達が作成した「無限の瞳」素晴らしいです。様々なことを教えられる貴重な映像に感動しました。成城高校では毎年上映されているとのこと。若者に伝え続けて頂きたいです。
高校生平和ゼミナールの活動には希望を感じました。こんな素晴らしい学生達が全国にいるんだと思うと元気が出ます。お世話役をしている津田先生の存在は、とても大きいと思います。感謝いたします。
(チラシ、70代以上)
核なき世界を日本から作りだそう!世界の核兵器の現状と日本の役割
元日本軍特攻隊員4人の遺言
集会のアンケートから
平頂山事件については、日本中国友好協会を通じて知りました。
学校では、アジアの近現代史はなかなか教えられません。自分で興味を持って学んでいくしかない現状に歯がゆさを感じます。裁判の終了後も、こうしてこの歴史を人々に伝える活動をしてくださる人々に感謝します。
私の娘は今4歳です。方さんが事件に合われた年齢です。曲さんのお話に自分の娘の姿が重なりました。もう少したったら、娘も連れてこのような学習会に参加できたらと思います。
来日してくださった曲さんご夫妻に感謝します。いつかまた、どちらかの国で私の娘共々曲さんにお会いできたらと希望を持ちます。
会場への案内に立ってくださっていた実行委員会の方々に助けられました。
ありがとうございました。
(中国語)
学校几乎不讲授亚洲的近现代史。要想了解这段历史,除了自己产生兴趣自发学习,别无他法。这样的现实让人十分无奈。我非常感谢你们在诉讼结束后仍继续以这样的方式让世人了解这段历史所做的努力。
我的女儿今年四岁,正好是方女士遭遇惨案时的年龄。曲先生的讲演使我在方女士的故事中看到了我女儿的影子。我希望今后能带我的女儿一起来参加类似的讲演会。
我也要感谢曲先生和夫人来到日本。希望有一天能和我的女儿一起在中国或日本再次见到他们。
同时感谢会议组织委员会成员在会场外为与会者提供指路等帮助。
谢谢大家。
平頂山事件と新たな戦前を考えるー平頂山事件の悲劇を2度と繰り返さないためにー
オンライン講演(ZOOM)
「731部隊と大学」
お話:吉中丈志さん(京都大学医学部臨床教授)
(講演概要)「731部隊と大学」
戦時中、731部隊で行われてきた残虐行為は、書籍、テレビ、新聞などのメディアを通じて、広く国民の知ることとなっています。
果たして、当の大学の認識はどうでしょうか?
『731部隊と大学』(吉中丈志編)という本の中には、次のような一文があります。
「京都大学医学部創立百周年に際して発行された記念アルバム『近衛町無番地』(京都大学医学部創立100周年記念写真集編纂室、2004年)の中で、本庶佑氏(当時医学部長、その後ノーベル医学・生理学賞受賞)は、「残念なことに(中略)京都大学医学部と戦争との関わりについての掘り下げは誠に不十分である」として、731部隊に関する検証は残された課題だと示唆された。京都大学の歴史にはノーベル賞受賞といった光もあれば、同時に陰もある。中でも、京都大学医学部が731部隊に大きく関与した歴史は、負の遺産の最たるものであろう。・・・・・・」
今回のオンライン講演では、京大医学部臨床教授の吉中先生に、今の大学の731部隊に関する認識について語っていただきます。
731部隊と大学
昨年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた。
医療倫理・研究倫理の深化
レイバーネットTV第192号 : 薄めても薄めてもなお汚染水〜国と東電の責任を問う
「汚染水はなぜ流してはならないか」小出裕章講演会
私の魚はあなたの魚
はだしのゲン 被爆描いた漫画、なぜ削除 広島市教委に抗議相次ぐ
「第五福竜丸」の記述 平和教育の教材から削除へ 経緯をおさらい
福島第一原発元技術者 汚染水放出を早期中止すべき
「サンモニ」識者、処理水は「普通の原発と違う」他の放射性物質含有の可能性指摘→東電はデータ公開
[インタビュー]日本の市民が「汚染水放出中止」訴訟…「故意に災害招く」
東電、処理水海洋放出を開始へ 漁業者懸念、中国も反発
鳩山由紀夫氏「汚染水を処理水と呼び変えても同じ」政府の海洋放出に疑問
処理水放出差し止め求め、福島の住民らが国・東電を提訴へ 全国初
中国、大使呼び放出抗議 香港、10都県水産物禁止
日本の汚染水放出決定 韓国団体が撤回求め強く反発
大竹まこと、福島第一原発の処理水海洋放出に疑問
処理水放出、不安や怒り 茨城県内 漁業者ら風評被害懸念
国会で「汚染水流すな」海洋放出反対派140人、経産省と東電に要望(2023年8月18日)
横浜ノースドック 「米軍新部隊配備の中止を」 共産党市議団が申し入れ〈横浜市神奈川区〉
赤レンガ・みなとみらいに戦禍の危険が迫っている!?
横浜ノース・ドックにおける部隊の新編成による脅威とは(長谷川拓也弁護士)
「核のごみ」の場所と危険性、1万年後の未来の子孫にどうやって伝えたらいいのか
隠蔽された横浜における朝鮮人虐殺
広島への原爆投下と私
中学生が作成した紙芝居「731部隊」によせて
「戦争の加害パネル展」in横浜2023
長野県飯田市で起こっている731問題
731前隊員見證人體實驗 控訴前日軍罪行-鳳凰秀
旧日本軍「731部隊」職員表など公式文書見つかる
●長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに
遺棄化学兵器被害裁判と被害者支援基金活動 2023 12 5
●核実験・原発事故・戦争で世界の環境は壊れかけている!!
国連のグテーレス事務総長「地球沸騰化」発言の全文
11月なのに…福岡市27.6℃ 県内3日連続「夏日」 葉物野菜は育たず、夏野菜が育つ“異常気象”
「今年の夏の暑さは本当に“異常”だった」...国内外の機関が「観測史上最も暑かった夏」と発表、「いま世界で起きている『地球沸騰化』の予兆」がヤバすぎる
日本の防衛白書に中国「強烈な不満と断固とした反対」
防衛費「5年で43兆円」、岸田首相指示 23年度から
慎重な公明に配慮で結論持ち越し 防衛装備移転
「沖縄」の今の映像上映と講演のつどい
「731部隊少年隊・平和祈念館」清水英男さんの証言
看護師らが患者を…「滝山病院 暴行事件」
米 バイデン大統領 “保有する化学兵器 すべて廃棄完了” 発表
大炎上「赤坂自民亭」は何が問題だったか
7.8 怒りの市民パレード 第2弾 わが町・府中に「統一教会」カルト集団はいらない!
韓鶴子総裁「岸田を呼びつけて教育を受けさせなさい」
安倍晋三 演説 | 統一教会
第3回遺棄化学兵器情報公開訴訟 2023 5 30
原発推進反対!!
高浜原発1号機 7月28日にも再稼働へ 運転開始40年超で2例目
細菌戦の系譜!!
次世代原発、三菱重工が統括へ…高温ガス炉・高速炉開発を主導
軍拡反対!!
広島市民のG7反対デモ5.20
広島市民のG7反対デモ5.21
広島市民のG7反対デモ5.21続
被爆者インタビュー
高校生「原爆の絵」
【速報】女川原発2号機 再稼働差し止め認めず 仙台地裁
リニア新幹線建設反対
リニア論考:私たちはなぜリニア新幹線に反対しているのか?
リニアモーターカーの稼働には原発3~5基分の電力が必要
映画『ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに』予告編
【ヒロシマを理解したのか】91歳の被爆者サーロー節子さんが見たG7サミット
秋葉前広島市長へのインタビュー
核なき世界へ
上田紘治さん
帝銀事件
戦後最大のミステリー「帝銀事件」犯人は何故被害者と同じ毒物を飲んで死平気だったのか?冤罪?真犯人は旧陸軍?
登戸研究所資料館 / 20181215講演会「帝銀事件と陸軍登戸研究所」
帝銀事件の現場を歩く
松本清張と帝銀事件第2部
関東大震災時の朝鮮人虐殺について
8、朝鮮人を虐殺をしたのは日本人の恥。虐殺したのが、第一の殺人。これを隠蔽した当時の政府、軍、警察の行為は第2の殺人。現在、小池だけでなく、政府が虐殺を認めないのは、第3の殺人。今の政府の発言・対応を座視している一般の日本人の罪も重い。流言により、殺害した自警団、一般日本人の心理と通底しているのではないか?(不明)
関東大震災後、殺害の朝鮮人慰霊 鐘楼補修費募る 千葉県八千代の寺
関東大震災から100年
下本節子さんのメッセージ
太平洋での核実験で被害を受けた日本人漁民の証言
ビキニ被災者より聞き取り
足摺岬サンセットクルーズ(高知県)
ジョン万次郎の生家を訪ねて(高知県土佐清水市)
宗田節工場見学(高知県土佐清水市)
震洋艇壕跡(高知県土佐清水市)
幡多ゼミOB・顧問と対談
特別交流会
全体集会第1部
全体集会第2部
ビキニ被ばく船員訴訟報告
広島・長崎の原爆
映画「ひろしま」
放射能汚染の恐ろしさ
核被災に苦しむウイグルの人々
放射線を浴びたX年後
地震が相次ぐ5月 ここ1週間で震度5弱が2回 地震発生時の行動確認を
日仏が原子炉開発など原子力連携で合意 高速炉に3年で460億円
超党派の議員連盟メンバー87人 そろって靖国神社に参拝
日本の核開発
原発の怖さを考えよう!!
原発大回帰に抗して コリン・コバヤシさん
原発大回帰に抗して: 崎山比早子さん
原発大回帰に抗して コメント・質疑応答
戦争と医の倫理 プレ企画 『731部隊員の証言』
歴史修正主義から「ポスト真実」の時代へ
ワクチン開発と戦争犯罪
731部隊と日本医学会―「未来への提言」を踏まえて―
「声上げたら解雇」は許せない!〜「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ
【今日でちょうど60年、独占告白】被差別部落出身の青年が「殺人犯」として不当逮捕された…「命の恩人」は三鷹事件で逮捕された男だった
2023 4 1狭山事件:石川一雄さんを訪ねて
狭山事件フィールドワーク
731部隊の実態をきちんと伝えよう!!
長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに
英紙報道(共同通信の竹内大志記者による
信濃毎日新聞5月29日
中日新聞5月29日
教育委員会が提案した案第2弾!!(細菌戦の解説欠如、証言パネルを展示せよ!!)
資料
一市民と行政が創る「飯 田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一
一市民と行政が創る「飯 田市平和祈念館 資料室」設立から学ぶ 一
旧陸軍の特殊部隊「731部隊」の一部展示を見送る…市教委「事実関係確認されず」
731部隊で行われていたこと
大分地裁 “永久保存”裁判記録「保存期間の満了」理由に廃
遺棄化学兵器処理事業情報公開裁判
遺棄毒ガス兵器処理事業の文書を公開せよ!!
第2回遺棄化学兵器処理事業情報公開訴訟口頭弁論 2023.3.23
安保3文書改訂の正体~中国は、日本の敵なのか?~
「証言 石井四郎」~語られた人物像~
731部隊論文 「検証を求める会」設立 京大の責任を問う
京大「人体実験とする根拠なし」 731部隊論文 本調査はしない方針
福島 雅典京都大学名誉教授
コロナワクチン接種 遺族団体“健康被害の救済認定速やかに”
コロナワクチン8.8億回分、国の確保量「根拠不十分」 会計検査院
新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??
鳥インフルでの殺処分は適切なのだろうか??
「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」
燃やしつづけた炎
劇映画「伊藤千代子の生涯」
フィールドワーク「多喜二と築地」
多喜二文学の世界への広がり
小林多喜二没後90年 東京大集会
平頂山で何が起きたの?
未だ癒えぬ傷(平頂山事件 生存者の今)2005年
平頂山事件訴訟とは何だったのか
合唱朗読構成 「再生の大地」ー撫順戦犯管理所(短縮版)
重慶爆撃
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
【そもそも解説】防衛装備移転三原則の見直し 今なぜ武器輸出拡大?
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
願わくは、戦没者たちが、自衛隊の「閉じ」の中から解放され、新たな地にて平和な社会の実現を見守って下さいますように。(鹿屋市内に一定の世論ができて、このような文章を書いているのではなく、私・鶴ヶ岡個人がこだわってきた、「戦没者」ということや「戦没者の遺念」ということへの思いから、書きました。また、鹿屋市当局も、資料館を取り戻すことなど、夢にも思っていないことでしょうし、自衛隊と利益関係でつながる出入り業者の数も多いですので、これまで(戦没者の冒涜に)気づいた人がいたとしても、なかなか声に出すことは出来なかったのではないかと思うのです。それだけ根の深い問題になっていますが、そこに光を灯すべき価値は大いにあるのではないでしょうか。数や金の上にあぐらをかいて、人々を、自分に都合のいい価値観にしばりつけているような地域性の中にある自衛隊の中でも「戦没者たち」が、埋没させられ、利用されてきました。自衛隊を包み込むそのような地域性があることもしっかりと見据えた上で、「自衛隊が戦没者たちを冒涜してきたということと、史料館は新たに平和祈念資料館として移転すべきこと」について、このような小さな声を、風に託すような思いで、届けたいです。)
【第2部 質疑応答】PTSDの日本兵と家族の思いと願い・大阪証言集会
細菌戦の系譜!!
●イスラエルの地上侵攻反対!!
トルコ、駐イスラエル大使召還 大統領、ネタニヤフ氏批判
人道状況改善など訴え パレスチナに約100億円人道支援
ロシア上院、CTBTの批准撤回可決 発効へ
ウクライナ戦争の停止、ロシア国民7割が支持 露世論調査
ウクライナ侵攻反対の元議員がロ大統領選立候補へ
プーチン氏批判バンドが動画公開 プッシー・ライオット
【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(11月4日の動き)
●脱原発!!
県民投票行われず 川内原発の県民投票条例制定案は県議会で否決
●三多摩平和交流会の感想
3、今回初めて参加しましたが、とても1日では足りないと感じるほど充実した内容、プログラムだったと思います。以前からずっと気になっていた、関心を寄せていたテーマの学習だったり、映像に触れる事が出来、参加してよかったなと感じました。全ての問題は大元の所で繋がっていることを、改めて感じ、気づかせてくれる企画だったと思います。これからも関心を持ち続け、行動にも移していきたいです。ありがとうございました。(チラシ、知り合いから、50代)
戦争はいけない No War!!
オンライン講演(ZOOM)
「731部隊と大学」
お話:吉中丈志さん(京都大学医学部臨床教授)
(講演概要)「731部隊と大学」
戦時中、731部隊で行われてきた残虐行為は、書籍、テレビ、新聞などのメディアを通じて、広く国民の知ることとなっています。
果たして、当の大学の認識はどうでしょうか?
『731部隊と大学』(吉中丈志編)という本の中には、次のような一文があります。
「京都大学医学部創立百周年に際して発行された記念アルバム『近衛町無番地』(京都大学医学部創立100周年記念写真集編纂室、2004年)の中で、本庶佑氏(当時医学部長、その後ノーベル医学・生理学賞受賞)は、「残念なことに(中略)京都大学医学部と戦争との関わりについての掘り下げは誠に不十分である」として、731部隊に関する検証は残された課題だと示唆された。京都大学の歴史にはノーベル賞受賞といった光もあれば、同時に陰もある。中でも、京都大学医学部が731部隊に大きく関与した歴史は、負の遺産の最たるものであろう。・・・・・・」
今回のオンライン講演では、京大医学部臨床教授の吉中先生に、今の大学の731部隊に関する認識について語っていただきます。
731部隊と大学
●ビキニ被ばく船員訴訟意見陳述(2023年9月12日東京地裁)
第2 放射線の晩発性影響の評価
被告は、原告らの主張する放射線の晩発性影響が認められるには100mS vのしきい線量を超える被ばくをしたことが必要であるが、明石真言氏を座長とする保険部の報告書によれば、lmSvにも達しないので放射線影響とは認められないと主張します。
そこで、まず、放射線晩発性影響の基準がどのように決められたかを述べます。
(1) 放射線晩発性影響の非特異性
放射線の晩発性影響の特徴は、非特異性です。放射線の晩発性影響と考えられる癌を見ても、それを放射線による癌と他の原因におる癌かの見分けは不可能とされています。そこで、線量と晩発性影響との関係を統計的に調べた疫学調査結果を基準にしてきました。
●放射能と人類は共存できない!!
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「731部隊少年隊・平和祈念館」清水英男さんの証言
看護師らが患者を…「滝山病院 暴行事件」
松本清張と帝銀事件第2部
映画会の感想
歴史に誠実に向き合い、国家の責任を問い、再発を許さない共生社会への第1歩を!
足摺岬サンセットクルーズ(高知県)
靖国神社参拝反対!!
超党派の議員連盟メンバー87人 そろって靖国神社に参拝
原発の怖さを考えよう!!
原発大回帰に抗して コリン・コバヤシさん
原発大回帰に抗して: 崎山比早子さん
原発大回帰に抗して コメント・質疑応答
戦争と医の倫理 プレ企画 『731部隊員の証言』
歴史修正主義から「ポスト真実」の時代へ
ワクチン開発と戦争犯罪
731部隊と日本医学会―「未来への提言」を踏まえて―
※多摩労務管理事務所への裁判闘争
3月29日、多摩労務管理事務所への裁判闘争が原告の主張が全て認められたかたちで、完全勝訴判決を勝ち取りました。
詳細は、追ってご報告致します。
これまで私達の裁判闘争をさまざまな形で支えて下さった皆様にまず感謝を申し上げます。
(以上Union No.6 からのメール)
現在、東京高裁で裁判が続いています。
9月14日は、結審になりませんでした。
次回は、11月2日(木)15時30分~717号法廷です。
「声上げたら解雇」は許せない!〜「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ
【今日でちょうど60年、独占告白】被差別部落出身の青年が「殺人犯」として不当逮捕された…「命の恩人」は三鷹事件で逮捕された男だった
731部隊の実態をきちんと伝えよう!!
長大なトンネルに解剖室…旧日本軍「731部隊」最大規模の“地下実験場”内部が明らかに
英紙報道(共同通信の竹内大志記者による
信濃毎日新聞5月29日
中日新聞5月29日
教育委員会が提案した案第2弾!!(細菌戦の解説欠如、証言パネルを展示せよ!!)
旧陸軍の特殊部隊「731部隊」の一部展示を見送る…市教委「事実関係確認されず」
731部隊で行われていたこと
遺棄毒ガス兵器処理事業の文書を公開せよ!!
旧日本軍の毒ガス戦、戦後の処理
新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??
「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」
731・原爆・ビキニ
12月25日(日)
7、少し物足りなさを感じます。(51歳以上、市内、その他)
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
06
女性たちが平和をつくる世界
この会には、地雷禁止運動のジョディ・ウィリアムズさん、「もったいない!」で有名なケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさん、北アイルランドの平和活動家マイレッド・マグワイアさん、ビルマ民主化運動のアウンサン・スーチーさん、イランの弁護士シリン・エバディさん、グァテマラ先住民族のリゴベルタ・メンチュさんらが参加しています。
国連では、「すべての国は、女性に対する暴力を止めさせる責任がある。そして、あらゆる平和活動の中で、女性の参加を拡大しなければならない」と決議しました(2000年、国連安保理決議1325)。
紛争後の国づくりや村おこしなど、平和活動の中心には常に女性たちがいなければならない、ということです。実際、アメリカやヨーロッパはもちろんのこと、韓国をはじめとするアジア諸国でも、NGOなど市民による平和活動の中心を女性たちが担っています。
【そもそも解説】防衛装備移転三原則の見直し 今なぜ武器輸出拡大?
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
願わくは、戦没者たちが、自衛隊の「閉じ」の中から解放され、新たな地にて平和な社会の実現を見守って下さいますように。(鹿屋市内に一定の世論ができて、このような文章を書いているのではなく、私・鶴ヶ岡個人がこだわってきた、「戦没者」ということや「戦没者の遺念」ということへの思いから、書きました。また、鹿屋市当局も、資料館を取り戻すことなど、夢にも思っていないことでしょうし、自衛隊と利益関係でつながる出入り業者の数も多いですので、これまで(戦没者の冒涜に)気づいた人がいたとしても、なかなか声に出すことは出来なかったのではないかと思うのです。それだけ根の深い問題になっていますが、そこに光を灯すべき価値は大いにあるのではないでしょうか。数や金の上にあぐらをかいて、人々を、自分に都合のいい価値観にしばりつけているような地域性の中にある自衛隊の中でも「戦没者たち」が、埋没させられ、利用されてきました。自衛隊を包み込むそのような地域性があることもしっかりと見据えた上で、「自衛隊が戦没者たちを冒涜してきたということと、史料館は新たに平和祈念資料館として移転すべきこと」について、このような小さな声を、風に託すような思いで、届けたいです。)
【第2部 質疑応答】PTSDの日本兵と家族の思いと願い・大阪証言集会
細菌戦の系譜!!
飯田市平和祈念資料館の展示の見直しを!!
2022/10/22 清水さん宅にて
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
731部隊の少年隊に所属し、飯田市平和祈念館での証言の展示を打診されていた清水さん。入隊時の写真の拡大コピーも用意していた=7月12日、宮田村
731部隊を巡っては2002年、中国人被害者らが起こした国家賠償請求訴訟で東京地裁が戦時中に生物兵器の開発、研究を行い、細菌戦を行っていたなどと認定した。一方、03年に当時首相だった小泉純一郎氏は国会で、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」と答弁。部隊については終戦直後に文書が処分された経緯もあり、専門家からは貴重な歴史的証言の展示を見合わせた市教委の姿勢を疑問視する声が出ている。
「自分たちの証言が紹介されなければ、部隊の事実が伝わらない」。戦時中、731部隊の少年隊に所属していた清水英男さん(92)=上伊那郡宮田村=はそう訴える。飯田市平和祈念館の開館前、市資料収集委員会から証言のパネル展示を打診され、了承。まだ14歳だった入隊時の集合写真も自費で拡大コピーし、展示用に用意した。
清水さんは国民学校高等科を卒業後、731部隊の少年隊に配属された。主に見習い技術員として病原菌の基礎知識などを学び、「マルタ」と呼ばれた中国人やロシア人の捕虜の人体実験後の標本を見たこともある。日本の敗戦間近に「マルタ小屋」で多数の人骨を拾って・・・・
久保田昇さんが熱く語る元731部隊員の証言(以下のビデオ:30分辺りから)
飯田市平和祈念館資料室
飯田市平和祈念資料室
ビキニ被爆訴訟
平頂山事件から90年
平頂山事件90周年(中国では)
↑9月18日の「赤旗」より
犠牲者の方々に心より哀悼の意を捧げます。
平頂山事件の悲劇を二度と繰り返してはならない。
政府の行為によって再び戦争の惨禍を繰り返してはならない。
『撫順』から未来を語る実行委員会と平頂山訴訟弁護団
我们向受害者表示衷心的慰问。
平顶山惨案的悲剧决不能重演。
我们绝不允许因为政府的行为,让战争的悲剧再次发生。
Нет войне!!Стоп Война!!
新聞記事からの報告(ビキニ水爆実験)
忘れられたビキニ被災者たち 裁判の報告
2022 5 7 世界の核被害問題と解決の取り組み
2022 5 7パネルディスカッションのまとめ
中満泉ビデオメッセージ
2022 5 8高橋博子講演
閉会の挨拶
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報21巻 第6号(1937年)
伝染病研究所記念日式辞
宮川米次
予防医学界
伝染病予防医学界に於てはRamon氏の創意になる「アナトキシン」及びその類似品、Calmette.Guerin氏等の発見になるBCG結核菌の応用等が特に注目すべき事であると思います。R氏の原法による「アナトキシン」は菌培養によって得た毒素液を単に無毒化したものであったが為に尚種々の欠点を有していたのであります。然るにこの毒素液内の不純物を除いて、純粋の毒素を無毒化して予防界に提供したのは細谷博士等であります。毒素を精製し、不純物を除かんとするのは現在世界に於けるこの方面の動向と申してよかろうと信じます。斯くして、反応を感ぜしめ、努めて大量を一時に使用しようとしているのであります。
大牟田の慰霊碑(裏)
(碑文)
「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」
わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)
この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。
日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業
北宏一郎(化学兵器被害解決ネットワーク)
こうして国際法に違反した毒ガス戦を準備し、生産規模の拡大、巨利を得て行ったのが、軍需産業であり、軍需企業であった。三井財閥は軍部と一体となって毒ガス戦を行なったのである。
三井鉱山三井染料工業所の毒ガス生産
(三井鉱山50年史稿より)
1940(昭和15)年三池染料工業所は「爆薬の供給及び工業薬品の増産」に忙殺されていた。(三井事業史本篇第3巻下444頁)
第2-55表の注
1号乙薬 (ピクリン酸)石炭酸 ヒA剤
3号乙薬 トリニトロアニゾール
10号乙薬 ヘキサンニトロジフェニルアミン
12号乙薬 混融爆薬(3号乙薬と10号乙薬の混合薬)
セントラリット 安定膠化剤 陸軍C剤 海軍2号丙剤
クC2号 チオグリコール(イペリット用原料 陸軍名) 3号中間薬(海軍名)
その他 ジフェニルシアンアルシン用原料 ジフェニル砒酸
陸軍名シモリン 海軍名 2号中間薬 三井名 アサヂン
(三井事業史本篇第3巻下444~447頁)
定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
はないのか?
資料・731部隊細菌戦裁判第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第2部 被告の細菌戦に関する責任(法律論)
第6 被告の立法不作為による謝罪及び損害賠償請求
5 最高裁昭和60年11月21日判決に従う場合の立法不作為による損害賠償責任
仮に、最高裁昭和60年11月21日判決に従っても、国会の立法不作為による損害賠償責任は認められる。
(1)上記最高裁判決は、もともと立法裁量に委ねられている国会議員選挙の投票方法に関するものであり、細菌兵器の使用という明らかに違法でかつ他に例のない重大な生命身体等への侵害に係る本件とは、事案が全く異なる。その後の最高裁判決の事案(最高裁昭和62年6月26日第2小法廷判決・裁判集民事151号147頁、同平成2年2月6日第3小法廷判決・訟務月報36巻12号2242頁、同平成7年12月5日第3小法廷判決・裁判集民事177号243頁)も本件に匹敵するようなものではない。
上記一連の最高裁判所判決は、「立法の内容が憲法の一般的な文言に違反している」場合を1つの例として、「容易に想定し難いような例外的な場合」には立法行為の違法性を認めるものと解される。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
四月十三日
衛兵勤務 曇り 風あり 零下三度。
何もわざわざ来なくてもよさそうな 学科をやらして自分は手紙を書いている矛盾も甚だしい。
今日は衛生勤務だ。佐々木の花王石鹸(社内電話)ばかり作ってはいたずらして困ったものだ。最も今日の電話交換手 余程歌が好きと見えてわざわざ分遣隊に電話をかけてきた。こんな女もまた困ったものだが佐々木のかけ方が僕に迷惑をかける事おびただしい。
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
Ⅰ 731部隊
生体解剖をやらされた
意識がはっきりとしている“マルタ”の手足を解剖台に縛り付け・・・
鎌田信雄(かまたのぶお)
731部隊・少年隊
(経歴)
1923年生まれ
1938年 731部隊入隊
1940年 新京の防疫でペスト感染
1943年 病気療養の為帰国
■この証言は1994年6月、1995年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。
●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明 (2004年発行)
Ⅱ 満州事変と毒ガス問題 1931―1936
一般軍縮条約案の運命
こうして、軍縮会議はなんらの成案を得ることなく崩壊への道をたどる。しかし、もしそれ以前に一般的軍縮条約が成立していれば、日本の毒ガス使用は困難になっただろうし、敗戦直前にアメリカ軍の焼夷弾や火焔放射器で大きな被害を受けずに済んだであろう。
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳
第13章 毒ガスは消えず
苦しかった過去を回顧する、忘れ難い調査
日本軍が遺棄した化学兵器の被害者、崔英韻先生と証人周乃栄先生を訪ねる
今年1月、私たちはハルピンの師範大学に、かつてチチハルで毒ガスの被害を受けた先生がおられるということを聞いた。これはとても重要な消息なので、私たちはすぐに仕事をやめて、何はともあれお目にかかって事情をお聞きしたいと考えた。
核時代39年(1984年)5月初版発行
犬
嫌がる少女を銃剣で脅して
宮島健司
伍長 分隊長
〈略歴〉
本籍地 神奈川県川崎市
出身階級 労働者 電動機捲線及び修理工
最終卒業学校 電気学校昼間部本科三期卒
部隊名 59師団54旅団110大隊
被捕場所年月日 朝鮮咸鏡南道咸興市女子商業学校 1945年8月25日
年齢 38歳
青木少尉は軍刀を杖にしながらこう言うと、傍らの谷田准尉と眼を合わせてニヤリと肯いた。
「ハ、ハイッ」朝鮮出身の権藤通訳は、飼い馴らされた猟犬のように、穴の中へ飛び込むと、持っていた棒を振り回して女を連れ出そうとした。
兵隊たちは唾を呑んで見守っていた。
「エイッ、エイッ、クソ、生意気な!!この野郎、手向かうのか」
棒は所かまわず、一塊になって抱き合っている女たちの肩や顔に、「ボクッボクッ」と不気味な音を立てて当たった。「ザアッザアッ」そのたびごとに土砂崩れがして、黒土が女たちの髪の毛に降りかかった。
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)
研究―四
三矢研究事前研究項目(対米関係事項)
第1 日米安全保障及び相互協力に関する条約関係(略)
2 武力攻撃に対処する行動に関する事項(第5条)(略)
3 事前協議に関する事項(略)
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
「化学学校記事」
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)
1、生物・化学兵器を告発する
国連の告発
ウ・タント報告書
「生物・化学兵器の効果についての報告書」は、①化学・生物兵器戦争の基本的政策、②これらの兵器が軍隊及び民間人に及ぼす影響、③これらの兵器の使用に影響する環境的要素、④化学・生物戦争の人間の健康及びその環境との関係に及ぼす長期的効果、⑤化学・生物兵器及び運搬手段の開発・取得・使用をめぐる経済上、安全保障上の意義、の5章からなっており、化学兵器については多くのページが神経ガス剤に当てられている。
即ち、①神経性ガスG剤(サリン、ソマン)②神経性ガスV剤、③びらん剤(マスタード)、④窒息剤(ホスゲン)、⑤血液剤(青酸ガス)、⑥毒素(ボツリヌス菌)、からLSDなど戦意喪失用の幻覚剤。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年
第3章 現実世界に向きあう
Ⅳ
皇太子のイギリス訪問の最大の眼目は、第1次世界大戦が結果としてこの国と世界にもたらした政治改革の嵐と、ヨーロッパにおける君主制の倒壊とを巧みに乗り切った国王ジョージ5世に学ぶということだった。ジョージは「その治世の初め(1910年)から、工業地帯の見学、フットボール競技の見物、ロンドンの貧民街の視察、鉱夫・労働者住宅の訪問などを繰り返し、一般庶民の要求や哀楽に接しながら君主制のありかたを模索してきた」。その後は国内の反戦論を抑えて軍の士気高揚に努めた。彼の公的伝記を書いたハロルド・ニコルソンによれば、ジョージ5世は艦隊や各海軍基地を訪れ、フランスヘの派遣軍を閲兵し、300もの病院を慰問し、何万という勲章を授与し、工業地視察を繰り返した。彼は被災地の慰問にとくに熱心で、「地区の負傷者に言葉をかけた。個人としてこれほど多くの臣下に接した君主はそれまでいなかった」。
戦争努力への重要な貢献以外にも、ジョージ5世は他国の王室を通じて国益を増し、英国皇室の意義を強めた。ロシア革命の際、彼は運の尽きた従兄弟のニコライ2世がイギリスに亡命するのを拒絶している。ただし戦後の1919年には、これも従兄弟のドイツ皇帝ウィルヘルム2世をロンドンで戦犯裁判に付そうとする首相ロイド・ジョージの方針に執拗に抵抗した。日本の皇室の権威を高めるというこの機会に、彼は皇太子の訪問をイギリスと日本との関係の強化に利用しようと考えた。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、戦争、
3、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え
●核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
地球を破壊する核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性
1961年10月31日 ツァーリ・ボンバ 50,000 ソビエト連邦 人類史上最大の水爆実験
1964年10月16日 596 22 中国 中国による初の原子爆弾実験
1967年6月17日 実験 No. 6 3,300 中国 中国による初の水爆実験
1968年8月24日 カノープス 2,600 フランス フランスによる初の水爆実験
1974年5月18日 微笑むブッダ 12 インド インドによる初の核分裂爆発実験
1998年5月11日 シャクティ I 43 インド インドによる初の潜在核融合増幅兵器実験(正確な核出力は25 kt〜45 ktの間で議論されている)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核融合もすべきではない!!
細菌戦の系譜!!
飯田市平和祈念資料館の展示の見直しを!!
2022/10/22 清水さん宅にて
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
731部隊の少年隊に所属し、飯田市平和祈念館での証言の展示を打診されていた清水さん。入隊時の写真の拡大コピーも用意していた=7月12日、宮田村
731部隊を巡っては2002年、中国人被害者らが起こした国家賠償請求訴訟で東京地裁が戦時中に生物兵器の開発、研究を行い、細菌戦を行っていたなどと認定した。一方、03年に当時首相だった小泉純一郎氏は国会で、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」と答弁。部隊については終戦直後に文書が処分された経緯もあり、専門家からは貴重な歴史的証言の展示を見合わせた市教委の姿勢を疑問視する声が出ている。
「自分たちの証言が紹介されなければ、部隊の事実が伝わらない」。戦時中、731部隊の少年隊に所属していた清水英男さん(92)=上伊那郡宮田村=はそう訴える。飯田市平和祈念館の開館前、市資料収集委員会から証言のパネル展示を打診され、了承。まだ14歳だった入隊時の集合写真も自費で拡大コピーし、展示用に用意した。
清水さんは国民学校高等科を卒業後、731部隊の少年隊に配属された。主に見習い技術員として病原菌の基礎知識などを学び、「マルタ」と呼ばれた中国人やロシア人の捕虜の人体実験後の標本を見たこともある。日本の敗戦間近に「マルタ小屋」で多数の人骨を拾って・・・・
久保田昇さんが熱く語る元731部隊員の証言(以下のビデオ:30分辺りから)
飯田市平和祈念館資料室
飯田市平和祈念資料室
ビキニ被爆訴訟
平頂山事件から90年
平頂山事件90周年(中国では)
↑9月18日の「赤旗」より
犠牲者の方々に心より哀悼の意を捧げます。
平頂山事件の悲劇を二度と繰り返してはならない。
政府の行為によって再び戦争の惨禍を繰り返してはならない。
『撫順』から未来を語る実行委員会と平頂山訴訟弁護団
我们向受害者表示衷心的慰问。
平顶山惨案的悲剧决不能重演。
我们绝不允许因为政府的行为,让战争的悲剧再次发生。
Нет войне!!Стоп Война!!
新聞記事からの報告(ビキニ水爆実験)
忘れられたビキニ被災者たち 裁判の報告
2022 5 7 世界の核被害問題と解決の取り組み
2022 5 7パネルディスカッションのまとめ
中満泉ビデオメッセージ
2022 5 8高橋博子講演
閉会の挨拶
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報21巻 第6号(1937年)
伝染病研究所記念日式辞
宮川米次
予防医学界
伝染病予防医学界に於てはRamon氏の創意になる「アナトキシン」及びその類似品、Calmette.Guerin氏等の発見になるBCG結核菌の応用等が特に注目すべき事であると思います。R氏の原法による「アナトキシン」は菌培養によって得た毒素液を単に無毒化したものであったが為に尚種々の欠点を有していたのであります。然るにこの毒素液内の不純物を除いて、純粋の毒素を無毒化して予防界に提供したのは細谷博士等であります。毒素を精製し、不純物を除かんとするのは現在世界に於けるこの方面の動向と申してよかろうと信じます。斯くして、反応を感ぜしめ、努めて大量を一時に使用しようとしているのであります。
大牟田の慰霊碑(裏)
(碑文)
「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」
わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)
この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。
日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業
北宏一郎(化学兵器被害解決ネットワーク)
こうして国際法に違反した毒ガス戦を準備し、生産規模の拡大、巨利を得て行ったのが、軍需産業であり、軍需企業であった。三井財閥は軍部と一体となって毒ガス戦を行なったのである。
三井鉱山三井染料工業所の毒ガス生産
(三井鉱山50年史稿より)
1940(昭和15)年三池染料工業所は「爆薬の供給及び工業薬品の増産」に忙殺されていた。(三井事業史本篇第3巻下444頁)
第2-55表の注
1号乙薬 (ピクリン酸)石炭酸 ヒA剤
3号乙薬 トリニトロアニゾール
10号乙薬 ヘキサンニトロジフェニルアミン
12号乙薬 混融爆薬(3号乙薬と10号乙薬の混合薬)
セントラリット 安定膠化剤 陸軍C剤 海軍2号丙剤
クC2号 チオグリコール(イペリット用原料 陸軍名) 3号中間薬(海軍名)
その他 ジフェニルシアンアルシン用原料 ジフェニル砒酸
陸軍名シモリン 海軍名 2号中間薬 三井名 アサヂン
(三井事業史本篇第3巻下444~447頁)
定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
はないのか?
資料・731部隊細菌戦裁判第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第2部 被告の細菌戦に関する責任(法律論)
第6 被告の立法不作為による謝罪及び損害賠償請求
5 最高裁昭和60年11月21日判決に従う場合の立法不作為による損害賠償責任
仮に、最高裁昭和60年11月21日判決に従っても、国会の立法不作為による損害賠償責任は認められる。
(1)上記最高裁判決は、もともと立法裁量に委ねられている国会議員選挙の投票方法に関するものであり、細菌兵器の使用という明らかに違法でかつ他に例のない重大な生命身体等への侵害に係る本件とは、事案が全く異なる。その後の最高裁判決の事案(最高裁昭和62年6月26日第2小法廷判決・裁判集民事151号147頁、同平成2年2月6日第3小法廷判決・訟務月報36巻12号2242頁、同平成7年12月5日第3小法廷判決・裁判集民事177号243頁)も本件に匹敵するようなものではない。
上記一連の最高裁判所判決は、「立法の内容が憲法の一般的な文言に違反している」場合を1つの例として、「容易に想定し難いような例外的な場合」には立法行為の違法性を認めるものと解される。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
四月十三日
衛兵勤務 曇り 風あり 零下三度。
何もわざわざ来なくてもよさそうな 学科をやらして自分は手紙を書いている矛盾も甚だしい。
今日は衛生勤務だ。佐々木の花王石鹸(社内電話)ばかり作ってはいたずらして困ったものだ。最も今日の電話交換手 余程歌が好きと見えてわざわざ分遣隊に電話をかけてきた。こんな女もまた困ったものだが佐々木のかけ方が僕に迷惑をかける事おびただしい。
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
Ⅰ 731部隊
生体解剖をやらされた
意識がはっきりとしている“マルタ”の手足を解剖台に縛り付け・・・
鎌田信雄(かまたのぶお)
731部隊・少年隊
(経歴)
1923年生まれ
1938年 731部隊入隊
1940年 新京の防疫でペスト感染
1943年 病気療養の為帰国
■この証言は1994年6月、1995年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。
●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明 (2004年発行)
Ⅱ 満州事変と毒ガス問題 1931―1936
一般軍縮条約案の運命
こうして、軍縮会議はなんらの成案を得ることなく崩壊への道をたどる。しかし、もしそれ以前に一般的軍縮条約が成立していれば、日本の毒ガス使用は困難になっただろうし、敗戦直前にアメリカ軍の焼夷弾や火焔放射器で大きな被害を受けずに済んだであろう。
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳
第13章 毒ガスは消えず
苦しかった過去を回顧する、忘れ難い調査
日本軍が遺棄した化学兵器の被害者、崔英韻先生と証人周乃栄先生を訪ねる
今年1月、私たちはハルピンの師範大学に、かつてチチハルで毒ガスの被害を受けた先生がおられるということを聞いた。これはとても重要な消息なので、私たちはすぐに仕事をやめて、何はともあれお目にかかって事情をお聞きしたいと考えた。
核時代39年(1984年)5月初版発行
犬
嫌がる少女を銃剣で脅して
宮島健司
伍長 分隊長
〈略歴〉
本籍地 神奈川県川崎市
出身階級 労働者 電動機捲線及び修理工
最終卒業学校 電気学校昼間部本科三期卒
部隊名 59師団54旅団110大隊
被捕場所年月日 朝鮮咸鏡南道咸興市女子商業学校 1945年8月25日
年齢 38歳
青木少尉は軍刀を杖にしながらこう言うと、傍らの谷田准尉と眼を合わせてニヤリと肯いた。
「ハ、ハイッ」朝鮮出身の権藤通訳は、飼い馴らされた猟犬のように、穴の中へ飛び込むと、持っていた棒を振り回して女を連れ出そうとした。
兵隊たちは唾を呑んで見守っていた。
「エイッ、エイッ、クソ、生意気な!!この野郎、手向かうのか」
棒は所かまわず、一塊になって抱き合っている女たちの肩や顔に、「ボクッボクッ」と不気味な音を立てて当たった。「ザアッザアッ」そのたびごとに土砂崩れがして、黒土が女たちの髪の毛に降りかかった。
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)
研究―四
三矢研究事前研究項目(対米関係事項)
第1 日米安全保障及び相互協力に関する条約関係(略)
2 武力攻撃に対処する行動に関する事項(第5条)(略)
3 事前協議に関する事項(略)
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
「化学学校記事」
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)
1、生物・化学兵器を告発する
国連の告発
ウ・タント報告書
「生物・化学兵器の効果についての報告書」は、①化学・生物兵器戦争の基本的政策、②これらの兵器が軍隊及び民間人に及ぼす影響、③これらの兵器の使用に影響する環境的要素、④化学・生物戦争の人間の健康及びその環境との関係に及ぼす長期的効果、⑤化学・生物兵器及び運搬手段の開発・取得・使用をめぐる経済上、安全保障上の意義、の5章からなっており、化学兵器については多くのページが神経ガス剤に当てられている。
即ち、①神経性ガスG剤(サリン、ソマン)②神経性ガスV剤、③びらん剤(マスタード)、④窒息剤(ホスゲン)、⑤血液剤(青酸ガス)、⑥毒素(ボツリヌス菌)、からLSDなど戦意喪失用の幻覚剤。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年
第3章 現実世界に向きあう
Ⅳ
皇太子のイギリス訪問の最大の眼目は、第1次世界大戦が結果としてこの国と世界にもたらした政治改革の嵐と、ヨーロッパにおける君主制の倒壊とを巧みに乗り切った国王ジョージ5世に学ぶということだった。ジョージは「その治世の初め(1910年)から、工業地帯の見学、フットボール競技の見物、ロンドンの貧民街の視察、鉱夫・労働者住宅の訪問などを繰り返し、一般庶民の要求や哀楽に接しながら君主制のありかたを模索してきた」。その後は国内の反戦論を抑えて軍の士気高揚に努めた。彼の公的伝記を書いたハロルド・ニコルソンによれば、ジョージ5世は艦隊や各海軍基地を訪れ、フランスヘの派遣軍を閲兵し、300もの病院を慰問し、何万という勲章を授与し、工業地視察を繰り返した。彼は被災地の慰問にとくに熱心で、「地区の負傷者に言葉をかけた。個人としてこれほど多くの臣下に接した君主はそれまでいなかった」。
戦争努力への重要な貢献以外にも、ジョージ5世は他国の王室を通じて国益を増し、英国皇室の意義を強めた。ロシア革命の際、彼は運の尽きた従兄弟のニコライ2世がイギリスに亡命するのを拒絶している。ただし戦後の1919年には、これも従兄弟のドイツ皇帝ウィルヘルム2世をロンドンで戦犯裁判に付そうとする首相ロイド・ジョージの方針に執拗に抵抗した。日本の皇室の権威を高めるというこの機会に、彼は皇太子の訪問をイギリスと日本との関係の強化に利用しようと考えた。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、戦争、
3、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え
●核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
地球を破壊する核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性
1961年10月31日 ツァーリ・ボンバ 50,000 ソビエト連邦 人類史上最大の水爆実験
1964年10月16日 596 22 中国 中国による初の原子爆弾実験
1967年6月17日 実験 No. 6 3,300 中国 中国による初の水爆実験
1968年8月24日 カノープス 2,600 フランス フランスによる初の水爆実験
1974年5月18日 微笑むブッダ 12 インド インドによる初の核分裂爆発実験
1998年5月11日 シャクティ I 43 インド インドによる初の潜在核融合増幅兵器実験(正確な核出力は25 kt〜45 ktの間で議論されている)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核融合もすべきではない!!
細菌戦の系譜!!
飯田市平和祈念資料館の展示の見直しを!!
2022/10/22 清水さん宅にて
731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」
731部隊の少年隊に所属し、飯田市平和祈念館での証言の展示を打診されていた清水さん。入隊時の写真の拡大コピーも用意していた=7月12日、宮田村
731部隊を巡っては2002年、中国人被害者らが起こした国家賠償請求訴訟で東京地裁が戦時中に生物兵器の開発、研究を行い、細菌戦を行っていたなどと認定した。一方、03年に当時首相だった小泉純一郎氏は国会で、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」と答弁。部隊については終戦直後に文書が処分された経緯もあり、専門家からは貴重な歴史的証言の展示を見合わせた市教委の姿勢を疑問視する声が出ている。
「自分たちの証言が紹介されなければ、部隊の事実が伝わらない」。戦時中、731部隊の少年隊に所属していた清水英男さん(92)=上伊那郡宮田村=はそう訴える。飯田市平和祈念館の開館前、市資料収集委員会から証言のパネル展示を打診され、了承。まだ14歳だった入隊時の集合写真も自費で拡大コピーし、展示用に用意した。
清水さんは国民学校高等科を卒業後、731部隊の少年隊に配属された。主に見習い技術員として病原菌の基礎知識などを学び、「マルタ」と呼ばれた中国人やロシア人の捕虜の人体実験後の標本を見たこともある。日本の敗戦間近に「マルタ小屋」で多数の人骨を拾って・・・・
久保田昇さんが熱く語る元731部隊員の証言(以下のビデオ:30分辺りから)
飯田市平和祈念館資料室
飯田市平和祈念資料室
ビキニ被爆訴訟
平頂山事件から90年
平頂山事件90周年(中国では)
↑9月18日の「赤旗」より
犠牲者の方々に心より哀悼の意を捧げます。
平頂山事件の悲劇を二度と繰り返してはならない。
政府の行為によって再び戦争の惨禍を繰り返してはならない。
『撫順』から未来を語る実行委員会と平頂山訴訟弁護団
我们向受害者表示衷心的慰问。
平顶山惨案的悲剧决不能重演。
我们绝不允许因为政府的行为,让战争的悲剧再次发生。
Нет войне!!Стоп Война!!
新聞記事からの報告(ビキニ水爆実験)
忘れられたビキニ被災者たち 裁判の報告
2022 5 7 世界の核被害問題と解決の取り組み
2022 5 7パネルディスカッションのまとめ
中満泉ビデオメッセージ
2022 5 8高橋博子講演
閉会の挨拶
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報21巻 第6号(1937年)
伝染病研究所記念日式辞
宮川米次
予防医学界
伝染病予防医学界に於てはRamon氏の創意になる「アナトキシン」及びその類似品、Calmette.Guerin氏等の発見になるBCG結核菌の応用等が特に注目すべき事であると思います。R氏の原法による「アナトキシン」は菌培養によって得た毒素液を単に無毒化したものであったが為に尚種々の欠点を有していたのであります。然るにこの毒素液内の不純物を除いて、純粋の毒素を無毒化して予防界に提供したのは細谷博士等であります。毒素を精製し、不純物を除かんとするのは現在世界に於けるこの方面の動向と申してよかろうと信じます。斯くして、反応を感ぜしめ、努めて大量を一時に使用しようとしているのであります。
大牟田の慰霊碑(裏)
(碑文)
「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」
わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)
この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。
日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業
北宏一郎(化学兵器被害解決ネットワーク)
こうして国際法に違反した毒ガス戦を準備し、生産規模の拡大、巨利を得て行ったのが、軍需産業であり、軍需企業であった。三井財閥は軍部と一体となって毒ガス戦を行なったのである。
三井鉱山三井染料工業所の毒ガス生産
(三井鉱山50年史稿より)
1940(昭和15)年三池染料工業所は「爆薬の供給及び工業薬品の増産」に忙殺されていた。(三井事業史本篇第3巻下444頁)
第2-55表の注
1号乙薬 (ピクリン酸)石炭酸 ヒA剤
3号乙薬 トリニトロアニゾール
10号乙薬 ヘキサンニトロジフェニルアミン
12号乙薬 混融爆薬(3号乙薬と10号乙薬の混合薬)
セントラリット 安定膠化剤 陸軍C剤 海軍2号丙剤
クC2号 チオグリコール(イペリット用原料 陸軍名) 3号中間薬(海軍名)
その他 ジフェニルシアンアルシン用原料 ジフェニル砒酸
陸軍名シモリン 海軍名 2号中間薬 三井名 アサヂン
(三井事業史本篇第3巻下444~447頁)
定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
はないのか?
資料・731部隊細菌戦裁判第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第2部 被告の細菌戦に関する責任(法律論)
第6 被告の立法不作為による謝罪及び損害賠償請求
5 最高裁昭和60年11月21日判決に従う場合の立法不作為による損害賠償責任
仮に、最高裁昭和60年11月21日判決に従っても、国会の立法不作為による損害賠償責任は認められる。
(1)上記最高裁判決は、もともと立法裁量に委ねられている国会議員選挙の投票方法に関するものであり、細菌兵器の使用という明らかに違法でかつ他に例のない重大な生命身体等への侵害に係る本件とは、事案が全く異なる。その後の最高裁判決の事案(最高裁昭和62年6月26日第2小法廷判決・裁判集民事151号147頁、同平成2年2月6日第3小法廷判決・訟務月報36巻12号2242頁、同平成7年12月5日第3小法廷判決・裁判集民事177号243頁)も本件に匹敵するようなものではない。
上記一連の最高裁判所判決は、「立法の内容が憲法の一般的な文言に違反している」場合を1つの例として、「容易に想定し難いような例外的な場合」には立法行為の違法性を認めるものと解される。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
四月十三日
衛兵勤務 曇り 風あり 零下三度。
何もわざわざ来なくてもよさそうな 学科をやらして自分は手紙を書いている矛盾も甚だしい。
今日は衛生勤務だ。佐々木の花王石鹸(社内電話)ばかり作ってはいたずらして困ったものだ。最も今日の電話交換手 余程歌が好きと見えてわざわざ分遣隊に電話をかけてきた。こんな女もまた困ったものだが佐々木のかけ方が僕に迷惑をかける事おびただしい。
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
Ⅰ 731部隊
生体解剖をやらされた
意識がはっきりとしている“マルタ”の手足を解剖台に縛り付け・・・
鎌田信雄(かまたのぶお)
731部隊・少年隊
(経歴)
1923年生まれ
1938年 731部隊入隊
1940年 新京の防疫でペスト感染
1943年 病気療養の為帰国
■この証言は1994年6月、1995年10月ほかの聞き取りをまとめたもの。
●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明 (2004年発行)
Ⅱ 満州事変と毒ガス問題 1931―1936
一般軍縮条約案の運命
こうして、軍縮会議はなんらの成案を得ることなく崩壊への道をたどる。しかし、もしそれ以前に一般的軍縮条約が成立していれば、日本の毒ガス使用は困難になっただろうし、敗戦直前にアメリカ軍の焼夷弾や火焔放射器で大きな被害を受けずに済んだであろう。
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳
第13章 毒ガスは消えず
苦しかった過去を回顧する、忘れ難い調査
日本軍が遺棄した化学兵器の被害者、崔英韻先生と証人周乃栄先生を訪ねる
今年1月、私たちはハルピンの師範大学に、かつてチチハルで毒ガスの被害を受けた先生がおられるということを聞いた。これはとても重要な消息なので、私たちはすぐに仕事をやめて、何はともあれお目にかかって事情をお聞きしたいと考えた。
核時代39年(1984年)5月初版発行
犬
嫌がる少女を銃剣で脅して
宮島健司
伍長 分隊長
〈略歴〉
本籍地 神奈川県川崎市
出身階級 労働者 電動機捲線及び修理工
最終卒業学校 電気学校昼間部本科三期卒
部隊名 59師団54旅団110大隊
被捕場所年月日 朝鮮咸鏡南道咸興市女子商業学校 1945年8月25日
年齢 38歳
青木少尉は軍刀を杖にしながらこう言うと、傍らの谷田准尉と眼を合わせてニヤリと肯いた。
「ハ、ハイッ」朝鮮出身の権藤通訳は、飼い馴らされた猟犬のように、穴の中へ飛び込むと、持っていた棒を振り回して女を連れ出そうとした。
兵隊たちは唾を呑んで見守っていた。
「エイッ、エイッ、クソ、生意気な!!この野郎、手向かうのか」
棒は所かまわず、一塊になって抱き合っている女たちの肩や顔に、「ボクッボクッ」と不気味な音を立てて当たった。「ザアッザアッ」そのたびごとに土砂崩れがして、黒土が女たちの髪の毛に降りかかった。
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)
研究―四
三矢研究事前研究項目(対米関係事項)
第1 日米安全保障及び相互協力に関する条約関係(略)
2 武力攻撃に対処する行動に関する事項(第5条)(略)
3 事前協議に関する事項(略)
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
「化学学校記事」
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)
1、生物・化学兵器を告発する
国連の告発
ウ・タント報告書
「生物・化学兵器の効果についての報告書」は、①化学・生物兵器戦争の基本的政策、②これらの兵器が軍隊及び民間人に及ぼす影響、③これらの兵器の使用に影響する環境的要素、④化学・生物戦争の人間の健康及びその環境との関係に及ぼす長期的効果、⑤化学・生物兵器及び運搬手段の開発・取得・使用をめぐる経済上、安全保障上の意義、の5章からなっており、化学兵器については多くのページが神経ガス剤に当てられている。
即ち、①神経性ガスG剤(サリン、ソマン)②神経性ガスV剤、③びらん剤(マスタード)、④窒息剤(ホスゲン)、⑤血液剤(青酸ガス)、⑥毒素(ボツリヌス菌)、からLSDなど戦意喪失用の幻覚剤。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第1部 皇太子の教育
1901(明治34)年―1921 (大正10)年
第3章 現実世界に向きあう
Ⅳ
皇太子のイギリス訪問の最大の眼目は、第1次世界大戦が結果としてこの国と世界にもたらした政治改革の嵐と、ヨーロッパにおける君主制の倒壊とを巧みに乗り切った国王ジョージ5世に学ぶということだった。ジョージは「その治世の初め(1910年)から、工業地帯の見学、フットボール競技の見物、ロンドンの貧民街の視察、鉱夫・労働者住宅の訪問などを繰り返し、一般庶民の要求や哀楽に接しながら君主制のありかたを模索してきた」。その後は国内の反戦論を抑えて軍の士気高揚に努めた。彼の公的伝記を書いたハロルド・ニコルソンによれば、ジョージ5世は艦隊や各海軍基地を訪れ、フランスヘの派遣軍を閲兵し、300もの病院を慰問し、何万という勲章を授与し、工業地視察を繰り返した。彼は被災地の慰問にとくに熱心で、「地区の負傷者に言葉をかけた。個人としてこれほど多くの臣下に接した君主はそれまでいなかった」。
戦争努力への重要な貢献以外にも、ジョージ5世は他国の王室を通じて国益を増し、英国皇室の意義を強めた。ロシア革命の際、彼は運の尽きた従兄弟のニコライ2世がイギリスに亡命するのを拒絶している。ただし戦後の1919年には、これも従兄弟のドイツ皇帝ウィルヘルム2世をロンドンで戦犯裁判に付そうとする首相ロイド・ジョージの方針に執拗に抵抗した。日本の皇室の権威を高めるというこの機会に、彼は皇太子の訪問をイギリスと日本との関係の強化に利用しようと考えた。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、戦争、
3、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え
●核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
地球を破壊する核爆発・核実験
年月日 名称(実験名) 核出力 (kt) 実施国 重要性
1961年10月31日 ツァーリ・ボンバ 50,000 ソビエト連邦 人類史上最大の水爆実験
1964年10月16日 596 22 中国 中国による初の原子爆弾実験
1967年6月17日 実験 No. 6 3,300 中国 中国による初の水爆実験
1968年8月24日 カノープス 2,600 フランス フランスによる初の水爆実験
1974年5月18日 微笑むブッダ 12 インド インドによる初の核分裂爆発実験
1998年5月11日 シャクティ I 43 インド インドによる初の潜在核融合増幅兵器実験(正確な核出力は25 kt〜45 ktの間で議論されている)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核融合もすべきではない!!